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継桜王子

継桜王子

樹齢1000年といわれる野中の一方杉
継桜王子(つぎざくらおうじ、次桜王子・続桜王子とも)は和歌山県田辺市中辺路町にある神社。熊野九十九王子社のひとつ。国の史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日)の一部。

比曽原王子から曲がりくねった国道をたどると、旧道と新道の分岐に出る。下方の国道への坂を背に、上方の旧道を進み、道沿い左側に大きな森と鳥居が見えてくる。ここが継桜王子である。

『中右記』天仁2年(1109年)10月24日条に「続桜」の名で、根元が檜で上部が桜という稀有な木の報告があり、次いで、「熊野道之間愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月13日条には「継桜」の文字が見えるように王子社が成立しており、以後も『熊野縁起』(正中元年〈1326年〉、仁和寺蔵)に「続桜」、『九十九王子記』(文明5年〈1474年〉)には「次桜」の名で知られていたことが分かる。

『中右記』などの記述によれば往時の継桜王子は現所在地よりも東側にあったとみられ、天正元年(1573年)付の「野中村若一王子権現社蔵文書」のように近世に現所在地に遷座させられたとする史料も見受けられる。江戸時代には若一王子権現と呼ばれて野中集落の氏神になり、『紀伊続風土記』が伝えるところによれば、境内は周98間、拝殿(祭神不詳、木製神体あり)の他に見明之明神社・金毘羅・秋葉社があったという。明治時代に入って村社に列格されたが、1909年(明治42年)に近野神社に合祀。高台の上の社殿はそのまま残されて祀りつづけられたが、戦後の1950年(昭和25年)になって御神体が取り戻されて旧状に復した。

継桜は早い時期から注目を集めており、前述の通り12世紀の参詣記である『中右記』に登場し、のちに王子社が成立した際に継桜の奇瑞にちなんで王子が命名されたものと考えられている。継桜は、何度かの代替わりを経ている。17世紀末から18世紀初めにかけて編纂された地誌『紀南郷導記』は、王子の正面にあった古木が枯れた後、紀州藩主徳川頼宣の命により山桜に植え替えられ、さらに1889年(明治22年)の大水害の際に再び倒れたため、王子から東側のやや離れたところに植えなおされたのが現在の継桜である。

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