FC2ブログ

最新トピックス

興津宿~由比宿の東海道散策ガイド・・・興津から由比あたりには、宿場町の面影を色濃く残す街並みが続く・・・
情緒と賑わいあふれる城下町 飛騨高山を散策・・・高山は城下町の面影と伝統が今も残る町。・・・
山中湖ICから反時計回りに富士山麓をほぼ一周ゆるり旅・・・東富士五湖道路山中湖ICから反時計回りに富士山麓をほぼ一周し・・・
福井県の断崖絶壁が続く越前海岸を行く!!・・・海際まで山が迫り、断崖絶壁が続く越前海岸・・・
迫力満点の大滝 ふくべの大滝を巡る石川県の旅・・・関西からの代表的な山岳ドライブウエーといえば、高野龍神スカイラインや・・・

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

高原熊野神社

高原熊野神社

樹齢1000年の大クスがそびえる
高原熊野神社(たかはらくまのじんじゃ)は和歌山県田辺市中辺路町高原にある神社である。正式名称は「熊野神社」。高原王子とも呼ばれ、社格は旧村社。高原集落の熊野古道中辺路に面した場所に鎮座し、本殿は和歌山県指定有形文化財(建造物、昭和36年〈1961年〉4月18日指定)である。

社伝によれば、応永9年(1402年)に熊野本宮大社から勧請したのに創まるというが、上述懸仏の裏面の銘は「応永十年癸未卯月廿七日」と創建を翌10年とするので、いずれにせよ応永年間(1394年 - 1428年)の創祀と推定される。当社は、文明5年(1474年)の『王子記』には「高原王子」と記されるが、平安時代から鎌倉時代にかけての記録に当社の存在は確認されず、九十九王子のうちには通常数えられない。『紀伊続風土記』は、当時「熊野権現社」と呼ばれて村の産土神であったこと、周囲116間の境内に本殿と拝殿があったことを伝えている。

鎮座地の高原(たかはら)は富田川左岸の尾根上に位置する集落で、史料上では平安時代の『中右記』天仁2年(1109年)10月23日条に初出し、『吉記』承安4年(1174年)9月30日には雨をさけて昼食をとったとあるが、宿所とはされず、『いほぬし』や『中右記』では高原をすぎた山中の水飲仮屋を宿所としていることから見て、集落の形成は南北朝時代と見られる。また、「熊野道之間愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201年)には、高原での情景を詠んだ歌が記録されている。

足利義満側室の北野殿一行の『熊野詣日記』応永34年(1427年)には往復とも当地に宿をとったとあるように、室町時代以降、近世までに熊野への参詣道が潮見峠越えに移行してからも高原は街道筋から離れることがなかった。明治元年(1868年)に「熊野神社」を正式社名とし、同6年4月に村社列格、40年(1907年)4月には神饌幣帛料供進社に指定された。なお、当神社とともに高原から富田川河畔に下ったところにある芝集落も街道宿として知られ、大正時代までは旅籠や駕籠屋もあったが、富田川沿いに自動車動が通じるとさびれた。今日では集落の手により熊野古道を探訪する人のための休憩所が設けられている。

高原熊野神社を含むモデルコースを見る。
和歌山県までの航空チケットを手配する。
和歌山県の旅館・ホテルを予約をする。
和歌山県までのJR・航空+旅館、ホテルを予約をする。
スポンサーサイト
検索フォーム
カテゴリで探す
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。