FC2ブログ

最新トピックス

興津宿~由比宿の東海道散策ガイド・・・興津から由比あたりには、宿場町の面影を色濃く残す街並みが続く・・・
情緒と賑わいあふれる城下町 飛騨高山を散策・・・高山は城下町の面影と伝統が今も残る町。・・・
山中湖ICから反時計回りに富士山麓をほぼ一周ゆるり旅・・・東富士五湖道路山中湖ICから反時計回りに富士山麓をほぼ一周し・・・
福井県の断崖絶壁が続く越前海岸を行く!!・・・海際まで山が迫り、断崖絶壁が続く越前海岸・・・
迫力満点の大滝 ふくべの大滝を巡る石川県の旅・・・関西からの代表的な山岳ドライブウエーといえば、高野龍神スカイラインや・・・

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

上山城

上山城

再建された高台の名城
上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にあった城である。別名、月岡城。江戸時代には上山藩の藩庁が置かれた。

元々、上山には天童氏(最上氏庶流)の一門上山氏が城を持っていた。1508年に伊達氏がこの城を攻め落とし、城主上山義房は滅亡。伊達家臣小簗川貞範がこの地に入った。その後、上山義房の子武衛義忠が城を奪還。義忠によって改めて築城された平山城が現在の上山城である。以後城主は武衛義節、そしてその子上山満兼と続く。この頃、天童氏は主家最上義光と次第に対立。満兼も天童一門として義光に従う事を拒否し、伊達氏とともに山形を攻めるなどした。しかし1580年義光は里見民部を寝返らせて上山城を攻め落とし、城主満兼は討死。代わって里見民部が上山城主になった。江戸初期に最上氏が改易された後は、没落した諸大名が3万石から4万石で入部し、城主を務める氏族がめまぐるしく変わるが、上山藩自体は幕末まで存続した。本丸を囲んで一段低く周囲に二の丸があり、外濠が取り巻いていた。藤井氏時代は天守はなく、二の丸に居館が設けられていた。

金森家が転封された際に一度破却されたが、破却前は本丸に三重の天守や各所に櫓門がある近世城郭であり、月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れ渡っていた。藤井松平家が封じられた際に上山城は再興されたが、二の丸に居館を設けた程度の城構えであり明治を迎えた。

歴代藩主は上山藩に詳しいが、能見松平家2代(4万石)、蒲生家1代(4万石)、土岐家2代(2.5万石、後3.5万石)、金森家1代(3.87万石)と目まぐるしく藩主が入れ替わった後、藤井松平家が封じられた。その後明治維新まで藤井氏が当地を治め、10代(3万石)信安の代まで居城として用いた。しかし明治時代に入ると廃城令の影響で1873年より取り壊されたり、払い下げられたりして廃城となった。

城跡は月岡公園および月岡神社境内となり、1982年に二の丸跡に3層の模擬天守が建立された。模擬天守の内部は、郷土歴史資料館として利用されており、季節によって、雛人形展や鎧などの収蔵品展、刀剣展といった催しが行われている。

上山城を含むモデルコースを見る。
山形県までの航空チケットを手配する。
山形県の旅館・ホテルを予約をする。
山形県までのJR乗車券+旅館・ホテルを予約をする。
スポンサーサイト
検索フォーム
カテゴリで探す
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。